2011年06月03日

カンブリア宮殿 花まる学習会 高濱正伸 2011年6月2日

カンブリア宮殿 201年6月2日のゲストは

花まる学習会代表 高濱正伸

親たちが大絶賛、親たちの救世主。

18年前に教育界に一石を投じて、首都圏に100を超える教室を展開、

成績より大事なこと・・・子ども達を導く先は「メシが食える大人になる」こと。

「合わない」と言うな!合わせるのが人生!

【送料無料】わが子を「メシが食える大人」に育てる

埼玉県のある保育園を借りて、1年生を集めて塾を開く。

1年生にしては、難しい4字熟語を音読する。

続いてキューブキューブと言う木のブロックで絵と同じブロックを作る。

ゲーム感覚で子どもたちは夢中。

3分から5分の短い間隔で

四字熟語、キューブキューブ、古文、図形問題、書き取り、計算など90分行っていく。

授業の最後は、高濱オリジナルの「なぞぺー」をやる。


花まる学習塾は1993年創立、25人から始まった塾は

現在では首都圏に104教室、4歳から小学校までの生徒数4800人。

教育本も数多く出版。

『わが子を「メシが食える大人」に育てる』・『16歳の教科書』
『ユダヤ式学習法』・『伸びていく子どもに育てる』『東大脳ドリル』
『小学生の学力は「計画力」で決まる』「なぞぺー」・「みみなぞ」など。
高濱正伸の本一覧


進学が目標ではないが、開成中、灘中など名門への進学する子もいる。

実際に通う保護者の反応は、
「1回も通いたくないと言わなかった」、「遊びの延長で楽しい」など。

村上龍が躍進の理由は、子どもが生き生きしているから、親も嬉しい。

小池栄子さんが聞く、気になる授業料は?
小学生は8,000円〜10,000円(高学年)

何を学べば、メシが食える大人になれる?
出来なそうな問題が解けて、「よしっ!」と快感になる。
その快感が、高校でも自分騙さない。
自分でわかってみせるという自分を騙さない感覚、
そんあ「わかっちゃった体験」をとにかく経験させたいだけ。


「分かった!」に快感が原動力 高濱正伸


高濱さんがこれだけは続けたいと言う取り組みが
1泊2日で100人の子どもが参加する「サマースクール」

自然の中で遊びつくす。昨年の参加者は2000人。
リスクはあるが、今年で終わるかもという覚悟で安全面は配慮している。
しかし、トラブル、危険な目に合う事は、非常に重要な事。

高濱正伸の生まれは熊本県人吉市。
高校は熊本一の進学校がったが、3年浪人で東大へ4年留年で卒業。
大学時代の塾講師のアルバイトの経験が人生の転機に。

そこで教育界の、課題のみをこなす、詰め込み教育に疑問を感じて
32歳で立ち上げたのが花まる学習会。


高濱を慕う、就職活動を控える花まる塾の卒業生が集まった。
高濱が言う。キーワードは「合わない」だ!

会社が合わない、あの人は合わないというが、それが現代病。
世界中、全て違うものの集まりだから、合わないが当たり前。
合わないから切捨てても、行き着く先は引き篭もり。

自分探し、自分にふさわしい場所なんて絶対にない!
自分で作り出す、変えていくしかない。

大人の脳トレ!思考力を育む算数脳パズル 「デジなぞ 」 1&2セット

メシが食える大人とは?
どんな状況になっても、逆境を楽しめる。自立している。
生活の糧を得るために、プロフェッショナルなものを持つ。

自然に親しむのでなく、怖さ、自分の小ささを知る。

塾に通って3回目が終わって、親子の会話で伸びるかがわかる。
@伸びる家庭
親「あなたちゃんとやったの?」
子「ちゃんとやった。」
親の質問に、子どもが答えて、キャッチボールになる。

A伸びない家庭
親「あなたちゃんとやったの?」
子「ていうか、腹減った。」
聞いたことに答えない。答えなくても流す。お互いに拾ったボールを投げ合うだけ。


言葉の力が メシの食える大人を育てる。 高濱正伸


カンブリア宮殿に過去に出た両備ホールディングス(両備バス)が
実効支援として、東北地方へバスを3台無償提供している。
被災地で、スクールバスなどとして活躍している。


高濱さんは、親を教育する講演会もしている。
「母親だからできること」として講演。
威圧感、子どもの将来の為に、こどもの叱り方を説く。

海釣り教室として、1泊2日でおこなう。
普段、なかなか出てこないお父さんを引っ張り出す。
子どもは、えさを手づかみするが、お父さんは・・・触れない。
30代、40代は経験が足りない。

母親は、家事を分担してほしいのでなく、
「大変だったね」などのねぎらいの言葉がほしいだけ。
お父さんは、実際に手伝おうとするが勘違いしている。


編集後記
いつの時代にも対応する、理想の教育はない。
今、自分の力で「うまいメシ」が食える大人は少ない。
楽しそうだから、早く大人になりたいと思う
子ども達が増えることが日本の教育には必要である。


2011年05月30日

カンブリア宮殿 万協製薬 松浦信男社長 2011年5月26日

カンブリア宮殿 2011年5月26日は

阪神大震災から復活した男 万協製薬 松浦信男社長


大震災を乗り越えて

社長があきらめたらその会社は終わり


三重県 多気町 ここに松浦の会社がある。

あることで全国的に有名に。地震対策が徹底しているのだ。

懐中電灯の置き場は蛍光テープで表示している。割れないガラスや転ばない床

電源ケーブルはすべて天井に。つまずかないように。

ドアシャッターは、ビニールシートだ。地震でが動かないことがあるからだ。

これはすべて、阪神大震災の経験からだ。工場で人が死なないように。怪我をしないように

「工場が立ち直っても、従業員がなくなってしまったら意味がない」

【送料無料】THE SOUL FOR THE PEOPLE 〜東日本大震災支援ベストアルバム〜

「震災から4週間で復旧できるようにしたい」

「阪神大震災は人生最悪の一日」あのような日は二度とあいたくない。

会社は長田区にあった。震災後、従業員は誰もついてきてくれなかった。

そして全員解雇、従業員は放心状態だった。松浦は途方にくれていた

しかし、お客さんからは、商品を作ってほしいとの依頼が殺到

この会社は必要とされている。そして、三重県に会社を移すことにした

宮城県発 東日本大震災 災害復興支援プロジェクト チャリティーステッカー「PRAY FOR JAPAN ~ Star Peace」義援金【 みんなのチャリティー募金 】参加

お客さんからの無理な注文。しかしこれを契機にOEM戦略に特化することにした。

他社の会社の商品を製造する。それかOEMだ。

しかし万協製薬は、自社ブランドをみずから提案しサンプルを作る。それで営業をかけるのだ。

製造ライン稼動率はなんと30%だ。それはお客さんからの大量注文に対応できるからだ。

震災から復活するために、その方法を選んだのだ。

その商品は有名なものばかりだ。

イメージはレンタルビデオだ。万協製薬の製造ラインを、大手企業に使ってもらう。

大事なのは、万協製薬は必要とされていることだ。

この万協製薬は、社員のための施設も充実している。漫画喫茶、ジムなど

それは社員にとっても必要とされていること


posted by 日経人 at 01:41| Comment(0) | TrackBack(0) | カンブリア宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月22日

カンブリア宮殿 ケニア・ナッツ・カンパニー 佐藤芳之 2011年5月19日

カンブリア宮殿 2011年5月19日放送のゲストは

ケニア・ナッツ・カンパニー創業者の佐藤芳之(さとうよしゆき)氏。

スイートと塩味の6種類のおつまみナッツセット 「ナッツパラダイス」

チャレンジに年齢は関係ない!情熱があればなんでもできる。

・「カンパニーとは一緒にパンを食べるということ」

・ビジネスで人を幸せに。

・従業員は4000人。ナッツのほかにはチョコレート、ワインなど

・ネスレやゴディバなど世界の一流企業にも卸している。


・衛星管理も徹底している。手洗いの実施状況まで管理されている。

・年間30億円、安い物価では、かなりの儲けだ。

・しかも、人件費がとても安い。

・佐藤の思いは、ケニアの人が幸せになることだった。

・アフリカの人たちは独立しても、飯の種がなかった。


・給料支給は絶対に遅らせない。ケニアでは公務員でも給料が遅れるという。

・「ミスター・佐藤は、お父さんのような人。」

・援助ではなくて、経済だ。


・ケニア人は、「言葉は風」だという。言葉に重みがない。はじめは苦労した

・佐藤はルワンダに向かった。経済成長率は6%以上だ。

・しかしスラムが多く、劣悪な環境で暮らしている人が多いという。

子供の死亡率がなんと13%以上だ。



・病気にならないようなものを売りたい。

・枯葉から作った、殺菌剤を作り、ルアンダで売るという。

一リットルでだったの一ドルだ。

・大口の注文が来た。しめて500ドル。政府からだった。

・佐藤はナッツの会社は、他人に譲ったという。

「もうケニアでの僕の役割は終わったから。やってきたことが僕の財産だから」


佐藤芳之さんのケニアナッツなど関連商品を販売しているショップがこちら

サバンナカフェ(コーヒーナッツ)
posted by 日経人 at 22:18| Comment(0) | TrackBack(0) | カンブリア宮殿 佐藤 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月08日

カンブリア宮殿 和食料理の鉄人 森本正治 2011年5月6日

カンブリア宮殿 2011年5月6日放送のゲストは

料理の鉄人 レストランオーナー 森本正治(もりもとまさはる)


全米が夢中。和食の鉄人、日本再上陸

奇想天外な和食で世界を攻略

日本文化をぶっ壊せ!鉄人流世界を勝ち抜く戦い方

ニューヨークには和食の店は、1400店舗もある。

▼秘伝おかず辣油(食べるラー油)

しかし森本のレストランは、少し街の外れにある。

価格はコースで最低1万円からと、決して安くない。

「すべての料理がすばらしいよ、こんな料理食たことないね」お客が大絶賛だ。


森本は料理イベントもする。ユニークなおしゃべりにお客が釘付けだ。

全米各地で出店すれば、必ず繁盛する。

ハワイでも出店するという。

森本の指導はとても厳しい。

「何回いってもわからない、いいシェフになりたいんだろ、やれば君たちはできるんだ」

森本はいう「必ずおいしいというものはない」


アメリカ人をどう攻略するか?

和食材にもこだわる。魚は築地から空輸させている。

トマト味の餃子。角煮とおかゆのコラボ、たこ焼きの中身は鮑だ。

これは皆アメリカ人の舌に合わせる為だ。また味覚や感覚も日本人とは違うのだ。

刺身よりもカルパッチョといえば、食べやすくなる。和食の敷居を下げる」

         

つまり現地化戦略だ

アメリカ人に大事なのは、第一印象だ。つまりアメリカ人にあわせた和食だ

たこ焼きの中身はお店によっても違うという。

「最終的には、本マグロの赤身を2年ものの醤油で食べてほしい、

僕の料理が入り口になってほしいという」


成功の要因は謙虚さ。

日本の伝統を伝えるだけではだめだ。壊すことも大事だ。

お客が入らなければ意味がない。


posted by 日経人 at 01:26| Comment(0) | TrackBack(0) | カンブリア宮殿 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2011年05月01日

カンブリア宮殿 吉本興業 大崎洋社長 ダウンタウン 2011年4月28日

カンブリア宮殿 2011年4月28日放送は

吉本興業の名物社長 大崎洋(おおさきひろし)が登場


吉本興業には、さまざまな芸人がいる

始まりは1930年ころからだ。

幕張メッセを借り切った、吉本興業のお笑いイベント。大勢のお客がきていた。

大阪発のお笑いが今や全国ネット、収入の7割が首都圏だ。

契約書はないという。ひとつの家族のようだという。

ほとんどが歩合制だ。

大崎さんは吉本入社時、あまり働くつもりではなかった。

しかし、島田紳助やダウンタウンとの出会いが働きかたを変えた。

 

発端は漫才ブームの終焉だ。

NSC一期生のダウンタウンだった。

ダウンタウン「大崎さんは、仕事が出来る感じではなかった」

大崎「若手が活躍できる場所を作らないと」

NCS養成所の若手が活躍できる場として、心斎橋の2丁目劇場を用意した。

ダウンタウンを始めとして、若手が次々に売れていった。

大崎「ダウンタウンは発想がまったく違う。

ネタを見たとき、全然違う方向からそのネタが飛んでくる」

大崎「場が人材を活かす」

吉本には若手を育てる場がたくさん用意されている。ネット、劇場、テレビ。

ひとりでも、多くの若手が『笑い』で食べれるようになるように。



地域で新商売、新潟県十日町で吉本興業が映画を作るという。

「天下の吉本興業が来てくれるなんて」

日本の地域を世界へ売れ。

日本の国や行政が忘れていった、「地域」を売り込む。

大崎は中国に売りこんでいた。中国の方も興味があるという。

「日本は東京と大阪くらいしかしらない。でも、地域の特徴には興味がある」

地方再生の鍵はここにあるのか。


カンブリア宮殿が見た震災

ローソン流・実効支援

仮設のローソン。店長は、震災でお店を失った。

品物店数は普段のお店と同じ品揃えだ。

ダウンタウンのガキの使いやあらへんで!! 第16巻 (罰)絶対に笑ってはいけないホテルマン24時 上巻(DVD)
posted by 日経人 at 08:33| Comment(0) | TrackBack(0) | カンブリア宮殿 吉本 | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は90日以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。